四の章  
北颪 きたおろし (お侍 extra)
 


 山野辺のそれは鄙びた土地に、米作りだけを地道に一途に続けて来た、いやさ、ただそれだけしか取り柄のない、小さな小さな村があった。春には遅霜、夏には日照り、秋には野分を、冬には根雪を相手にし。抗うことより我慢することを身につけて、大地にしっかと根を張って、先祖代々の田畑を守り、自慢の米を真っ当に育て収穫する。それしか知らず、それで十分な幸いとし。皆で笑い、皆で困っては また笑い、清い水と滋味あふるる土という豊かな恵みに感謝しながら、神代の頃からとも言われる長い長い間、頑迷なまでに何ひとつ変わらぬやり方での米作りをのみ続けて来た。そんな神無村には、何の非もなく落ち度もなかった筈だのに。大陸を二分し、長きに渡って繰り広げられていた大戦にも関与せず、それはそれは穏やかに、ただただ田圃と向き合って来ただけだのに。終戦からさして間を置かず、ある日突然、彼らは襲い来、村を蹂躙した。

  ――― 彼らの名を“野伏せり”という。

 戦さの間、前線で華々しくも戦い通した勇者たちの成れの果て。巨大な戦艦にだって対峙出来るよう、強く大きくと我身を血の通わぬ機巧に乗り換えてでもと力を尽くした歴戦の“もののふ”たちは、だが、皮肉にもあまりに偏ったその特化のせいで、戦後の時代には居場所がなくなり。糧を得るため、よすがを得るため、ただでさえ警戒薄く、武装になんて縁もない、辺境の農村を襲っては米を奪い、娘らを攫った。のちに、彼らの陰にもっと性悪な黒幕がいることが判明しもするのだが、そんなことが判るはずもない非力な農民たちは、1年掛かりの辛苦の結実たる米を奪われても、何にも代え難い愛しい家族を攫われても、ただただ泣き寝入りするしかなく。だが、こんな非道が当然の如くまかり通っていていいはずがないと、ある年とうとう、神無村の住人たちは野伏せりへの反旗を翻すことを決意した





  ◇  ◇  ◇



 神無村から彼らが発って行ったのは、北の大地から深い雪が消え始めた頃のこと。空をも覆うほどの機巧侍の一群を率いてやって来た、若造天主との熾烈な戦いの中、その身を文字通り粉砕してまで戦った仲間がやっと、元の姿へと戻ったのを見届けてからの、一番最初に発って行ったのは…意外にも彼らの中で最も年少だった若者で。侍というものが実はよく判らないまま、憧れだけで関わって。そんな身で戦いに加わり、人の命へ手を掛けてしまった愚かしさに、すべてが終わってからやっと気がついた。職業剣士というよな軽いものにしか思っていなかった訳ではなかったが、それとは真逆の極端にも“崇高な求道者”だと決めてかかっていた浅はかな自分。人を斬る存在が崇高であるはずがないと、その最初からを間違っていた自分。命までは奪わぬとしたいなら人斬りの刀を持つは大いなる矛盾。命のやり取りをする覚悟の前提として人斬りの刃を帯びているのだ、他に言い訳は立たぬとせねばならぬのに。血に染まった手を自覚し、屠った命を無駄にはしないと、だからこそ無為には死ねぬという生々しさを、命の価値を知ってこそなれるものだという真理を、なのに頑として認めようとはしなかった。理想ばかりを振り回し、思考がとことん幼かった自分にようやっと気がついた彼の背を押したのは、

 『私たちは正義の味方なんかじゃありません。』

 やっと床から離れられるようになった一番の重傷を負ったお仲間が、体慣らしを兼ねて虹雅渓まで訪のうてくれた時、そんな話をしてくれて。勿論のこと、悪魔の手先でもありませんがと付け足してから、

 『刀がどんなに美しくとも人殺しの道具でしかないように、
  私らは単なる侍、英雄でもなんでもないんですよね。』

 自分から義憤を覚えて行動を取った訳じゃあない、あくまでも依頼されて、直接何をされたでもない相手を斬った。こんな言い方は極端で、流れの端々、どうしてそんな思い切ったことを実行しようとした村の方々だったか、野伏せりの非道や商人たちの腹黒さなんかはおいおい判っても来ましたが、それでも。私たちは世直しをしたかった訳じゃなく、誓約を守って神無村を護っただけです。

 『しかも、いきなり血刀をかざしてというテロリズムでね。』

 本当にそれしか方法はなかったのでしょうか? 我らが直接依頼されたことへの対処としては、ええ、あれが最善でした。少数精鋭という手勢で相対すには、あれしか手立てはなかったし、よくもまあ成功したものだと、勘兵衛殿の才覚・手腕、我らをああまで奮い立たせて、力尽きるまで動かしたご人徳には驚かされました。それと同時に、何も右京らの腹黒さまで公開するこたあないし、我らの側の立場というものへの言い訳もしなくていい、いやさ、してはならぬのだとした、勘兵衛殿の方針も。今の君なら理解出来るでしょう? だって、これが“世直し”したくて手掛けたことならば、方法は大きに間違っている訳ですからね。力づくで潰し合うだなんて、力の強かった生き残りの主張が正しいだなんて、何だか理屈がおかしいというものでしょう? そんな風に世の中は複雑で、二つのうちのどっちかしかないという訳じゃあない。そんな物の見方ばかりしていると、見切った曖昧な誤差が積み重なってのしまいには、気がついたら敵方に立っていたなんてなことにだって成りかねない。

 『……………。』

 お説教というのではなく、あくまでも彼の考えとしてのそんな話を聞かされて。一本気だった、頑ななばかりだった心の残滓として、何やら蟠
(わだかま)って心に留まっていたものが、それを聞くと共にじんわりと緩んだような気がしたとかで。心の尋も性根も身の丈も、何もかもまだまだ未熟な人性、叩いて練ってのしたたかに、強く鍛えて来たいからと。ご挨拶なしというのは非礼ながらも、弱い心が未練から萎えぬよう、どうかこのまま、虹雅渓からの旅立ちをお許しくださいと、そんな書簡を平八に預け、見送りも少ない中、旅立って行った彼であり。

 「よろしかったのですか?」
 「………うむ。」

 今時のあの年頃には希有な体験だろう、壮絶な命のやり取りに肌身で触れ、あれだけの闇を人へも自身へも見たその上で、誰でもない自ら律したいというもの、誰が口出し出来ようかと。そうと言いつつも、少年が発って行ったという方角をいつまでも眺めやっておられた御主の、少しほど寂寥にも沈んでいた精悍な横顔。それをこそ忘れまいぞと視線が外せずにいた腹心の彼であり。その静かな眼差しにて、自分が見つめられたことがそういえばどのくらいあったものか。ああそうか、想いを形にしてしまうのがおっかなくって、こっちから逃げ回ってもいたものなと、こんな時ながら…自分の尻腰のなさまでもを擽ったげに思い出してもいた元・副官殿だった。風に乗っての舞うは風花。次に降るのが恐らくは、今冬最後の雪となろう。それが降ったら我々もまた、此処から旅立たねばならぬ。元の根無し草に戻るもよし、これを機に身を固め、真っ当な生き方を選ぶもよし。それぞれがそれぞれの道を模索しており、それも大方固めかけていた頃合いだった。









      雪 囲 い




 「今だから言いますが、
  久蔵殿のことを、実を言うとどこかで怖い人だと思っておりました。」

 「?」

 「おっかないというのではなく、あまりに眩しいお人ゆえ、
  自分なんぞが一緒にいるなんてとんでもないという気がしておりまして。」


 季節はすったもんだの晩秋へと駆け戻り。虹雅渓に長く居るコマチへ送ってやりたいからというキララの願いを聞いてやり、共に運んだ鎮守の森で、思う存分収穫して来た山盛りのキノコや木の実を選り分けて。働いた分の“おすそ分け”を七郎次が上手に煮込んで作った滋養満点の汁物を手土産に、随分と元気になったという平八を見舞いに行った久蔵へと向けて。言われてみればすっかりと顔色のよくなった小柄な元・工兵さんがそんな話を唐突に振って来たのは、

 『…五郎兵衛の匂いがする。』

 寝台の傍らまで寄ってきた年若いお仲間、こちらの顔を覗き込んだそのまま、そんな突拍子もないことを口にした双刀使いさんだったので。それへと、妙にあたふたした銀髪の壮年を尻目に、
『いっぱいいっぱい手を掛けていただいておりますからね。久蔵殿からシチさんの匂いがするのと同じです。』
 けろり応じた平八の言いようへ、それは素直にこくこくと頷いた他愛のないお人。人斬りを捕まえてのこの言いようはおかしいかもしれないが、強くて真っ直ぐで潔白で。何物も恐れず、何物にも恥じない。夜叉のように見せつつ、実はたいそう無垢なままな、こんなお人もいたのだなと、その存在の奇跡さ加減へあらためての感嘆が洩れた。凛としていて自負強く、何にも恥じないというその意志の強さや激しさは、弱いところや卑屈さを持ち合わせる者には、痛いほど目映い潔癖さでしかなかったから、
“ああ、今時こういうお人がまだいるのだなと、生きにくそうなと思いながらも、心のどこかで羨ましかったんですよね。”
 自らの罪悪、胸の奥底に長々と飼って腐らせていた旧悪を晒し、重荷を吐き出した今はもう、鬱屈も随分と軽くなったから。そんな卑屈さやその大元だった傷痕を、そおとその上から確かめるように撫でられもする平八でもあり。

  ――― 怖いと言いつつ、子供扱いはしていたぞ。
       おや、そうでしたっけ?

 酒も飲めねば女も知らぬと、若侍と同じ扱いをしておったくせに。そうと言い返しつつ、ちょいと目元を眇めたところなぞ。慣れがない者には、すぅっと背条が冷え込むほどもの、殺気立って見えての怖いばかりのお顔だったろうけれど、
「そんなわざとらしいお顔が出来るようになりましたか。」
 それでは大人と認めねばなりませんねぇと、やっぱり子供扱いをすることで、この鉄面皮な久蔵からさえ苦笑を誘うお話し上手。早よう治して手合わせでもしようぞと、待ち通しいことなんだか遠慮したくなることなんだか、何とも微妙な言いようを言い残し、それではと立って行った金髪痩躯の君を見送り、

 「あのお人も変わられましたよね。」
 「ああ。」

 少なくとも、いたわりを込めて相手の髪を梳いてやるという所作なんて、戦さ前には一度たりとも見せたことはなかったしと。触れてもらった髪を視野の端に入れ、うふふと微笑った平八へ、
「まま、先程のヘイさんの言いようではないけれど。あのシチさんから舐めるように可愛がられておいでだからの。」
 こちらからおねだりをするための言葉さえ要らぬのではなかろうかというほどもの、究極の至れり尽くせりをこなせる優しいおっ母様から、おんば日傘も如くあらんという構いだてをされているお人ゆえ。優しさ滲ます温かい所作くらい、身に染ませての覚えもしようさと。さばさばとした言いように紛れさせ、平八のみかん色の前髪を、ごそりと大きな手で撫で直した誰かさん。


  ――― あっ!
       いかがした?
       …もしかしてゴロさん、妬きました?
       さて? 何の話かの?


  ………やってなさい。
(苦笑)






          ◇



 午前中のすったもんだは、結局のところ、当事者にあたる平八と五郎兵衛と、割って入った七郎次とそれから。戸前で話を聞いていた勘兵衛という、四人の胸の裡
(うち)へと秘されることとなり。大きな閊えをやっと吐き出してくれた平八だということへの限りない安堵感が、修羅場の棘々しさをも相殺しての余りある温かさとなって、関わった顔触れの胸底をも暖めており。
「お帰りなさい。」
 そんな隣家へお使いに行った久蔵が戻って来たのを、囲炉裏端からわざわざ立って来て、迎え入れたる七郎次。だっていうのに居室をキョロキョロと見回す久蔵の所作から、すぐにも察したことがあり、
「ああ。勘兵衛様なら、つい先程、見回りに出られましたよ?」
「…。」
 あの都との戦さの直後はさすがに、落ち伸びた敵方の誰ぞが侵入して来るやも知れないという意味もあったそれだったが、このごろではもはや形だけの物と化しつつある哨戒であり。そんなせいでか、途中で足を止めると…人目を憚りつつも棒での手合わせなんぞをこなしてもいる、困ったお人たちだと知ったばかりのおっ母様。なので、次男坊こと久蔵が、自分では隠しているつもりらしくとも…やや不満げなお顔になったのもお見通し。
「出て行かれたばかりです。背中が見えるほどではないかってくらい。」
 久蔵殿の足ならあっと言う間に追いつけますよと、くすすと微笑って言ってやり。細っこいその右腕を肘での中折れにし、首から下げている装具のベルトのよじれを直してやりながら、
「でも、本当に無理をなさってはなりません。いいですね?」
 せっかく此処まで治ったのに、真剣本気ではない手合わせなどで傷めては笑うに笑えませんと、いかにもごもっともなご意見を下さった母上にこくりと頷いた久蔵だったが、

 「…?」
 「どうしました?」

 首条の肌へとわずかに触れた七郎次の手が、何だか熱かったような気がして。自分の手が冷たいのをいつも案じてくれている彼の手は、逆にいつも暖かではあったれど、この熱さはちょっと尋常ではないのではと、一瞬の触れ合いで違和感を覚えたところはさすがの次男坊。
「手が…。」
「?」
 手が、どうかしましたかと。訊き返そうとした七郎次の足元が、いきなり不安定な下がり方をする。いやさ、体の均衡が保てなくなってのふらりと倒れかかり、まだ上がり框の手前にいた久蔵が、ハッとしたそのまま片腕で腕の中へと受け止めた彼の体は、尋常ではないほどに熱かったものだから。



  「…っ、島田っ! 戻って来いっ! シチがっっ!!」





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  *またもやちょこっと間が空きましたが、
   こちら、此処からは新しい章でございます。
   春になったら散り散りに別れを迎える彼らであり、
   さて、そこへと至るまでの冬の間を、どう過ごすのか。
   またぞろ亀の歩みで紡いでゆきますので、
   よろしかったらお付き合い下さいませです。

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv **

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